
札幌の山崎歯科クリニック、院長の山崎英彦です。
毎週月曜日に北海道大学歯学部第2保存学教室 西尾啓英先生が診療に加わります。
外見は院長顔負けの堂々とした体格ですが、治療は丁寧で細かい作業が得意な様です。
性格も繊細で、勉強家ですv(*'-^*)-☆ ok!!

彼の努力が、当院の医療レベルをまた一段上げてくれるような気がします。医療は何と言っても人が大事です。
彼を、立派な一人前のドクターに成長させることが、私の役目であると考えています。
宜しくお願いします。
ちなみに趣味はラーメンの食べ歩きだそうです。おいしいお店はどこか聞いてみてください。
蕎麦は私の方が得意ですよ=*^-^*=にこっ♪
札幌の山崎歯科クリニック、院長の山崎英彦です。
福岡の日本歯周病学会に行って観光してきたことばかり書きましたが、本当に発表もしてきましたよ。

岩手、高松、福岡と3連続発表しましたので、すっかり落ち着いて発表できました。

どうです、この畏怖堂々とした発表態度♪ベリーベリー d(^・ェ・^)(^・ェ・^)b グットグット♪
まあ、3回も連続発表する人も稀の様で…
岩手で受賞した際の学会長にお逢いし
「先生、幾らでも症例出てくるねえΣ(・ω・ノ)ノ! びっくりっ!」
とお言葉をいただきました。
自分で言うのもなんですが、3回だからと言って手を抜いた発表はしていません。
が、しかし、北海道の先輩より
「山崎!最優秀は1回きりだから アンタ!! σ゚ロ゚)σ」
と言われ(内心がっかり)
まあ、発表はまとめる事が最大に勉強になるんですよ。
発表は賞が目的ではなく学ぶことが目的!!
あと、小観光かな(*^-゚)vィェィ♪
札幌の山崎歯科クリニック、院長の山崎英彦です。
昨年も行き感動した、滝川の菜の花畑に今年も行ってきました。

いや~、感無量ですよ\(* ̄□\) ̄□\) ̄□\))))オォ~ット!!
ちょうど、この日は満開!
黄色いじゅうたんどこまでも~♪。
花、一つ一つもかわいいです。
旭川市の近く、滝川市とお隣の赤平市をあわせた「JAたきかわ」管内は、菜の花の作付面積が日本一。
2つの市を合わせると、約180ヘクタールもの、広大な菜の花畑があります。
広い大地が真黄色に染まります
作付面積 180ha というと・・・・
東京ドームの38個分 、札幌ドームの33個分に相当します。
市内のあちらこちらに黄色の絨毯が点在しています。
ただ、この菜の花、連鎖障害が出やすいため、毎年作付ける畑を変えているそうです。
菜の花が満開のこの時期、葉の花まつりが開催されていました。
葉の花まつりのメイン会場には、滝川の特産品や露店などがいくつか出ていましたよ。
札幌の山崎歯科クリニック、院長の山崎英彦です。
学会を抜け出して太宰府天満宮に参拝に行ってきました。
学問の神様として菅原道真公を祀っており、受験合格や学業成就などを祈願する有名な神社仏閣ですから、子供らの合格祈願と、私の学会発表の成功をお願いしてきました。
ボランティアの方の無料説明があり、歴史マニアの私は速攻でお願いしました。
1時間余りとても丁寧に由緒などを教えていただきました。
右大臣であった菅原道真(菅公)が左大臣藤原時平らの陰謀によって筑前国の大宰府に権帥として左遷された事、現在の場所に建立した理由などなど大変勉強になりました。
特に感動したのが、参道を登りつめた先には延寿王院があり、ここは幕末維新の策源地といわれ、三条実美たち公卿5人が3年半余り滞在したところ。
土佐脱藩の土方久元、中岡慎太郎もいたが、ここを薩摩の西郷隆盛、長州の伊藤博文、肥前の江藤新平たちが訪ねてきているが、坂本竜馬も来訪したとのこと。
NHK大河ドラマの「龍馬」にはまっていましたので、この場所を高杉新作や坂本龍馬が通ったと思うと ∑(`□´/)/ ナニィィイイイ!!
途中に、牛の銅像があり撫でるとその場所が健康になるとのことで全身撫でまくりました。
お腹もさすっていると、ボランティアのおばちゃんが
「メタボリックには効かんよん、そりゃ自分の責任じゃけんの」
アセアセ( ̄_ ̄ i)タラー
境内には約6,000本もの梅が植わり、2月上旬から3月中旬になると、境内を艶やかに彩るとのこと。
また、その季節に訪ねたいと思った次第です。
札幌の山崎歯科クリニック、院長の山崎英彦です。
先月、福岡で日本歯周病学会があり行ってきました。
丁度、ホテルのそばに福岡県立博物館があり、以前より興味がある棟方志功氏のイベントをやっていましたので、絵を見に立ち寄ってみました。
そんなささやかな「コトリップ」(=小さな旅ってことね)は、自分の中のささやかな楽しみ。

18歳の時、友人宅で文芸誌『白樺』の挿し絵に使われていたゴッホの『ひまわり』と出会う。
炎のように燃え上がる黄色に、そのヒマワリの生命力と存在感に圧倒された。
カンバスに刻まれたヒマワリから、ゴッホその人が立ちのぼるように、版画から棟方志功も立ち上った。
この棟方志功というひとは、ほんとに突き抜けてると思う。
芸術を呼ぶ名前として、原始美術とか現代アートとか版画とか・・・いろいろな概念があるのだけど、そういう表面上の概念を全部突き抜けてる感じ。
青森と東北の土地の記憶をすべて背負って、その上でたったひとりの個人で積みあげたような作品群だ。
棟方志功は、目が悪いので、版画に極限まで顔を近づけて製作している様子が有名。
ここの写真にもそういう姿がある。
ユーモラスでもあり、敬虔な祈りのように宗教的でもあり、狂気をも感じてしまう。
棟方志功は、常に多義的な存在だ。岡本太郎のように。
「棟方志功 祈りと旅」展には、ある特定の年代ではなく、若いひともお年寄りも、いろんな年齢層が来ていた。
それがとてもよかった。
お経とか仏教的なモチーフも多いから、お年寄りで祈っている人もいた。
それがとてもよかった。
こういうものが、芸術の力なのだと思った。
棟方志功には、女性への底知れぬ愛と優しさがある。
それは、決して安いフェミニズムでもなく、安いヒューマニズムでもない。
もっと深く深く、生命やいのちの根源そのものにも達する、敬虔で宗教的な境地に近い。
なぜなら、すべての人間は女性から生まれたのだから。
女性が、全ての人間を生んだ。
そういうことへの深い敬意や畏怖の念がある。
日本人ではじめてベネチアビエンナーレに出展したとされる「二菩薩 釈迦十大弟子」という大きな版画。
テレビでは見た事があったけれど、はじめて本物を見た。
圧倒的で、とても素晴らしいものだった。
そこには、彼独自の宇宙観(コスモロジー)がある。
「青苔日厚(せいたいにっこう)」という書にも目を惹かれた。
正式には
「青苔日厚白無塵」
(=青苔日に厚うして 塵おのづから無し)
というらしい。
『苔は、目に見えないほど遅いけれど、日に日に厚くなり日々更新されているから、塵が積もるスキもない。』
千利休が露地(茶室の庭)について聞かれた時の返答の言葉らしい。
棟方志功にもすごく似合う言葉だと思う。
とても好きな言葉になった。
棟方志功の圧倒的なコスモロジーに触れて、何かが自分の中にしっかりと伝わってきた。
まるで種子が植え込まれるように。
自分も、苔のように地道に地道に、そして真摯にしっかりと生きていきたいと、改めて思ったのでした。
札幌の山崎歯科クリニック、院長の山崎英彦です。
苦節2年、やっと我がブログファンにこのご報告をする事が出来ました(/_<) ナケルネェ
そうです、毎回報告しているギターの発表会におきましてやっとこさ、満足良く演奏ができたべさ!!(感情的なると北海道弁が・・・)
多くの先生からもお褒めの言葉をいただきました。
A先生:「ばっちり、決まりましたね=*^-^*=にこっ♪」
B先生:「山崎さんのような短めの曲は、あのようにゆったりと堂々と弾くと素晴らしんですよね=*^-^*=にこっ♪」
C先生:「山崎さんの弾き方はひとつひとつがはっきり音が出ていて素晴らしかったですよ。なかなかあのように弾ける人いないですよ=*^-^*=にこっ♪」
さらに
C先生:「いずれ先生になれますよ!!!」
私:「(」゚ロ゚)」(」゚ロ゚)」(」゚ロ゚)」オオオオオッッッ 本当ですか?」
C先生:「いやいや、その気持ちで今後も練習に励んでください(*^-^)ニコ」
私:「Σ(▼□▼メ) あっ、ありがとうございます(* ハ)エーン」
なんて感じで終了しました。
生徒さんもとても上手な方がいて感動しましたが、打ち上げの時にC先生が演奏された映画主題歌「ひまわり」は圧巻でした。
やはり、アマチュアとプロは別格ですね。
という訳で、映画主題歌「ひまわり」をご堪能ください。
この演奏者も有名なプロですが、私はC先生の演奏の方が好みです。
札幌の山崎歯科クリニック、院長の山崎英彦です。
現在も被災地では多くの歯科医が身元確認で懸命に作業しているとのことです。
「一刻も早く家族の元へ」 歯科医一丸、悲しみ胸に任務果たす
東日本大震災で発見された遺体の検視には、多くの歯科医が協力し、歯の特徴を記録する重要な役割を担っている。
遺体と向き合うつらい任務だが、「一刻も 早く家族の元へ返したい」との思いが活動を支える。
仙台市青葉区で歯科医院を経営する朴沢一成さん(56)は3月18日から4月9日まで計11回、石巻市と東松島市で検視に加わった。
当初は寒さが厳しく、冷えて固まった遺体の口を開けるのが大変で「お願い、開いて」と何度も念じたという。
泥水を飲んだ犠牲者も多く、ガーゼで汚れをぬぐって歯の記録を取った。
初日に見た2歳ぐらいの女の子のことが忘れられない。
ほほ笑むような安らかな顔で横たわっていた。
虫歯もなく、きれいな歯だった。
「お母さんが愛情込めてケアしていたんだろうな…」。
そう考えた瞬間、涙があふれた。
声さえ出せなくなり、別の歯科医に代わってもらった。
朴沢さんは後日、「眠るように」という詩を詠んだ。
冷たいコンクリートの床に横たわっていた女児を悼み、「せつない、せつない、あまりに。神様なんて きっといない。もしいたら、こんな惨(ひど)いことをするはずがない」とつづった。
被災しながらも遺体の身元確認に協力した歯科医もいる。
名取市閖上1丁目の斎藤恭夫さん(62)は、妻の真沙子さん(56)と義父の英夫さん(82)、 義母の洋子さん(80)を津波で失った。
英夫さんはすぐに見つかったが、真沙子さんと洋子さんは発見までに時間がかかった。
斎藤さんは遺体安置所で2人を捜しながら、津波被害を免れた仕事場に 通って患者のカルテを見つけ出し、県警の問い合わせに回答した。
斎藤さんは「家族を失ったので、行方不明となった患者さんの家族の気持ちも理解できた。歯科医の使命だと思った」と振り返る。
宮城県歯科医師会によると、県内で検視に当たった歯科医は、他県からの応援も含め延べ1500人を超えるという。
